『播磨国風土記』によれば、龍野の由来は「『野見宿禰がこの地で没し、
出雲から多くの人が来て、揖保川の石で墳墓を作るため野に立ち並んだ』という故事から
『立野』と呼ばれ、『龍野』に変化した」、とされている。

醤油産業が発達したのは、戦国まで西播磨を治めていた赤松一族が秀吉の西国征伐によって滅ぼされ、
その生き延びた家臣たちが醸造業を興したのが始まりである。
その家臣の子孫は現在も龍野で醤油を作り続けている。

播磨平野の小麦。赤穂の塩。それに揖保川水系の軟水が、
醤油醸造。素麺を始めとする製麺業の発展に繋がった。
淡口醤油、素麺の「揖保の糸」は全国ブランドになっている。

皮革工業もここ龍野では江戸期から盛んである。
これも豊富な水がもたらした伝承技術である。

「いいもの」を作る・・・言うのは簡単であるが
それが生まれるには様々な要素が重なり合わなければならない。
その技術伝承は更に難しい。
龍野のまちには、その条件が揃っているようだ。

そして「いいもの」を作る技術やスピリッツは「人」に宿る。
「人」のつながりがそれを可能にする。

TRADITIONAL龍野
歴史・文化
風土
技術
そして「人」

これからの龍野は「いいもの」を作り続ける。

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