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龍野ツーリズムモデルコース | ||||||||||
(1)龍野八景コース | ||||||||||
場 所 | 地 区 | 備 考 | ||||||||
八2 | 赤とんぼ荘から望む街並み風景 | 川西地区 | 川西地区から揖保川、川東地区が見渡せる |
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八3 | 聚遠亭の茶室 | 川西地区 | 庭園や池、杉垣根などと調和した書院造りを模した数奇屋風建築 |
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八4 | 如来寺と浦川 | 川西地区 | 城下町情緒が残る。如来寺境内には露風の歌碑、筆塚がある。 |
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八5 | 春の龍野公園のさくら並木 | 川西地区 | さくらの名所として知られ、「一目三千本」と言われている。 公園内には「文学の小径」「童謡の小径」「哲学の小径」が整備されている |
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八6 | 夏の揖保川の鮎つり | 川西地区 | 揖保川は一級河川で鮎の生息数が多く、関西圏から鮎つり客で賑わう この揖保川と鮎つり客とのマッチングに優れる |
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八7 | 秋の紅葉谷 | 川西地区 | 平井文之助氏が私財を投じ整備された紅葉谷には楓の木などが植樹され、紅葉狩りの名所 |
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八8 | 冬の素麺の天日干し | 神岡地区 | 現在では、乾燥機などの整備によりあまり見られなくなったが、一昔前まではよく見られる風景であった 日当たりの良い玄関先「門乾し」とも言われる |
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(2)街並み散策コース | ||||||||||
場 所 | 地 区 | 備 考 | ||||||||
街1 | 龍野城周辺 | 川西地区 | 龍野城-山城 鶏籠山の山城は約500年前赤松村秀によって築かれ、江戸時代初めに現在地へ移る。山城までのハイキングコースが整備されている。 火の見櫓や家老門なども残っている。霞城館(矢野勘治記念館)がほど近くにある。 龍野町上霞城 |
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街2 | 龍野公園周辺 | 川西地区 | 龍野動物園-聚遠亭 さくら並木が続き、三木露風をはじめとする歌碑等が建てられている。 「文学の小径」「童謡の小径」「哲学の小径」が整備されている。 龍野町中霞城 |
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街3 | 武家屋敷周辺 | 川西地区 | 紅葉谷-武家屋敷 紅葉谷には平井文之助氏が植樹した楓並木が続き、武家屋敷には、明治に旧藩主が居住していた屋敷跡付近には白壁の土塀が残る 龍野町中霞城 |
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街4 | 如来寺周辺 | 川西地区 | 旧ヒガシマル醤油本社工場跡-浦川 江戸時代に建てられた漆喰の街並みが続き、如来寺と浦川沿いは龍野八景の一つ。うすくち龍野醤油資料館も立地。 龍野町大手 |
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街5 | 上川原・下川原・本町周辺 | 川西地区 | 上川原から下川原、本町周辺は、商屋筋として栄えていた。現在も和菓子や味噌などのお店が点在している。 かどめふれあい館や下川原ギャラリーなどのイベント会場が整備されている 龍野町上川原、下川原、本町 |
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街6 | 十字川周辺 | 川西地区 | 鶏籠山から注ぐ十字川のせせらぎと街並みがマッチしている。 龍野町中霞城~龍野町本町 |
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(3)歴史コース ●印 現存する遺跡 | ||||||||||
名 称 | 地 区 | 場所、時代、発掘品など | ||||||||
歴1 | ●大住寺群集墳 | 神岡地区 | 古墳が約60基、一部保存 神岡町大住寺 |
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歴2 | ●中垣内群集墳 | 揖西地区 | 古墳約40基、1号墳はたつの市指定文化財 揖西町中垣内 |
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歴3 | ●狐塚古墳 | 川西地区 | 古墳の規模は南北20m以上、東西約20m、高さ約5m。墳丘形態は円墳もしくは方墳と考えられる。年代は6世紀後半、古墳時代後期の築造である。古墳1基、たつの市指定文化財。周囲には重蓮寺古墳群等約200基の大古墳群を形成している。 龍野町日山 |
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歴4 | ●内山古墳群 | 誉田地区 | 古墳、群集墳60基 誉田町内山 |
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歴5 | 西宮山古墳 | 川西地区 | 後期前方後円墳であるが、調査後兵庫県立龍野高等学校グランド造成によって消滅。 龍野町日山五月台山 |
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歴6 | ●清水遺跡 | 揖西地区 | 縄文後期、網目文様と沈線文のある土器が出土、弥生時代の大集落。 揖西町清水 |
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歴7 | ●小犬丸遺跡 | 揖西地区 | 縄文最終末、網目文様なし、貝殻などでなぞった土器片のほか、弥生~中世の複合遺跡。 揖西町小犬丸 |
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歴8 | ●門前遺跡 | 揖保地区 | 弥生時代前期の土器はたつの市指定文化財。 日本の稲作が本格的に伝えられた頃の貴重な土器。 揖保町門前 |
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歴9 | ●尾崎遺跡 | 揖西地区 | 弥生時代中期を中心とする集落跡、その他古墳時代、奈良時代、平安時代の建物跡も発掘。 揖西町尾崎 |
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歴10 | ●新宮東山古墳群 | 揖西地区 | 方形墳丘墓 揖西町新宮方形墳丘墓、6基の古墳群のうち2基を発掘し、4・5世紀の方墳と判明、多くの副葬品や人骨が出土した。 揖西町新宮 |
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歴11 | 白鷺山墳墓 | 川西地区 | 弥生時代末期頃の石棺で、人骨や鏡が出土。鏡2面はたつの市指定文化財。 龍野町日山 |
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歴12 | ●野見宿禰墓 | 川西地区 | 相撲の祖が龍野で死去という「播磨国風土記」の記事があり、明治時代に墓探しが行われて指定された伝承地。 龍野公園内 |
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歴13 | ●奥池遺跡 | 神岡地区 | 旧石器の散布が知られている。 神岡町大住寺 |
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歴14 | 愛宕山古墳 | 神岡地区 | 古墳1基 神岡町奥村 |
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歴15 | ●上横内遺跡 | 神岡地区 | 縄紋~平安集落、特に弥生時代の建物等が発掘。 神岡町上横内 |
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歴16 | 追分古墳 | 神岡地区 | 古墳2基 神岡町追分 |
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歴17 | ●片山東山遺跡 | 川東地区 | 弥生散布地、高い山の上にあり、争いごとに備えた高地性集落と考えられています。 龍野町片山 |
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歴18 | 中井遺跡 | 川東地区 | 弥生散布地 龍野町中井 |
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歴19 | ●中井廃寺 | 川東地区 | 奈良~平安古代寺院、心礎あり。周辺には瓦を焼いた窯も発見されている。 龍野中井 |
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歴20 | ●小宅神社遺跡 | 川東地区 | 中世集落、経塚 龍野町小宅 |
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歴21 | ●北龍野遺跡 | 川西地区 | 弥生散布地、兵庫県立龍野実業高等学校裏で多数の土器片が出土。 龍野町北龍野(マップは神岡地区左上をご覧下さい。) |
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歴22 | 的場山古墳 | 川西地区 | 古墳1基 龍野町上霞城 (マップは神岡地区左上をご覧下さい。) |
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歴23 | 日山遺跡 | 川西地区 | 弥生散布地 龍野町日山 |
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歴24 | ●内山遺跡 | 誉田地区 | 弥生散布地、土器や石器が出土。 誉田町内山 |
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歴25 | 上福田遺跡 | 誉田地区 | 縄紋散布地 誉田町福田 |
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歴26 | ●明神山墳墓群 | 誉田地区 | 弥生時代末頃の石棺から人骨が出土、数基の古墳群が指摘される。 誉田町福田 |
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歴27 | ●片吹遺跡 | 誉田地区 | 縄紋~平安集落、特に縄文の住居跡や多数の土器が発掘。 誉田町片吹 |
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歴28 | ●桜ケ坪遺跡 | 揖保地区 | 弥生散布地 揖保町中臣 |
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歴29 | 中臣山古墳群 | 揖保地区 | 古墳3基 揖保町中臣 |
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歴30 | ●宝林寺北遺跡 | 揖保地区 | 縄紋~中世集落、特に平安・中世の集落跡が発掘。 揖保町門前 |
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歴31 | ●古代山陽道 | 川西地区 | 古代道路、東の槻坂から西の琴坂まで一直線に通された幅約10mの道路跡と推定。 中井~小犬丸 |
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歴32 | ●台山古墳群 | 揖西地区 | 古墳2基 揖西町小神 |
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歴33 | ●新宮遺跡 | 揖西地区 | 弥生集落 揖西町新宮 |
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歴34 | ●養久山古墳群 | 揖西地区 | 弥生~古墳時代の墳墓や古墳が44基。特に前方後円墳の1号墳は兵庫県指定文化財。 揖保川町養久・揖西町佐江・前地・小神ほか |
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歴35 | ●南山高屋遺跡 | 揖西地区 | 縄紋~古墳集落 揖西町南山 |
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歴36 | ●布勢施駅家 | 揖西地区 | 古代山陽道の駅家跡。日本で初めて駅家遺跡と確定したもので、発掘にて礎石瓦葺の駅館院が明らかになっている。 揖西町小犬丸 |
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歴37 | 粒坐天照神社 | 川西地区 | 播磨屈指の名神大社の一つ 龍野町日山 |
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歴38 | 中臣印達神社 | 揖保地区 | 播磨屈指の名神大社の一つ。素盞鳴尊の子神健の神五十猛神が祭神。 揖保町中臣 |
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歴39 | 銅造阿弥陀三尊立像 | 川西地区 | 阿弥陀如来と観音、勢至の二菩薩が肩を寄せ合うように立つ三尊像である。鎌倉末期(十三~四世紀)の作と考えられる。兵庫県指定文化財。 像高阿弥陀像48.5cm。観音像34.3cm。勢至像34.3cm 保管場所 普音寺 龍野町福の神 |
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歴40 | 十一面観音(井上観音堂) | 誉田地区 | 平安時代後期の仏像。たつの市指定文化財。 誉田町井上 |
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歴41 | 阿弥陀如来像(恩徳寺) | 揖西地区 | 古代山陽道の沿線にあるため、建立時期から当時の遺像とも考えられている。 揖西町中垣内 |
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歴42 | 十一面観音像(中井観音堂) | 川東地区 | 古代山陽道の沿線にあり、中井廃寺(7世紀)跡に安置されている。本像は平安時代末頃と推定される。たつの市指定文化財。 龍野町中井 |
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歴43 | 如意輪観音坐像(小犬丸観音堂) | 揖西地区 | 古代山陽道の沿線にあるため、建立時期から当時の遺像とも考えられている。市指定文化財 揖西町小犬丸 |
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歴44 | 龍野城 | 川西地区 | 鶏籠山の山城と山麓の平山城との二期に分かれ、山城は約500年前赤松村秀によって築かれ、江戸時代初めに現在地へ移る。 龍野町上霞城 |
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歴45 | 武家屋敷 | 川西地区 | 明治に旧藩主が居住していた屋敷跡付近には白壁の土塀が残る 龍野町中霞城 |
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歴46 | 聚遠亭 | 川西地区 | 心字池上にある茶室は、安政年間に藩主脇坂安宅が拝領したと伝えられている。 龍野町中霞城 |
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歴47 | 恩徳寺とさいれん坊主 | 揖西地区 | 嘉吉の乱の赤松一族を弔うため、雨ごいと称して始められたとする奇祭「さいれん坊主」は8月14日~15日に行われる。 揖西町中垣内 |
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歴48 | 梛八幡神社 | 神岡地区 | 数百年の伝統を持つ優美な獅子舞の奉納で有名な神社。 神岡町沢田 |
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歴49 | 圓光寺 | 川西地区 | 剣豪宮本武蔵が慶長年間の一時期、境内に道場を開き、弟子たちに指南していたといわれています。 龍野町下川原 |
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歴50 | 如来寺 | 川西地区 | 境内には、露風の歌碑と筆塚がある。城下町龍野の情緒が残っている。 龍野町大手 |
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歴51 | 龍野神社 | 川西地区 | 龍野藩主脇坂安宅が藩邸敷地内に脇坂安治を祀るため建立(1862年) 龍野町中霞城 |
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歴52 | 小林實家住宅土蔵 | 川西地区 | 江戸時代前半の3階建土蔵で、最古級の土蔵。たつの市指定文化財。 龍野町下川原 |
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歴53 | ●奥村廃寺 | 神岡地区 | 古代美作道沿いに建てられた。7~9世紀の廃寺跡。発掘によって、金堂の東西に両塔、背後にを置く珍しい寺院建築の配置がわかっている。両塔の心礎はたつの市指定文化財。 神岡町奥村 |
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歴54 | 奥村廃寺塔婆心礎2個 | 神岡地区 | 奥村廃寺の東西両塔の芯柱を支えた2個の心礎は、たつの市歴史文化資料館に屋外展示。たつの市指定文化財。 |
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歴55 | ●笹山遺跡 | 誉田地区 | 平安・中世集落 誉田町福田 |
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歴56 | ●円勝寺跡 | 誉田地区 | 山岳寺院、中世経塚も発見されている。 誉田町福田 |
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歴57 | ●西構遺跡 | 揖保地区 | 中世集落、堀をめぐらせる中世有力者層の居宅跡と考えられている。 揖保町西構 |
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歴58 | ●城山城 | 揖西地区 | 兵庫県内唯一の古代山城跡とされている。中世には赤松氏の居城となり、嘉吉の乱の最後の舞台となった。 揖西町中垣内ほか |
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歴59 | ●光明山城 | 揖西地区 | 中世山城 揖西町竹原・長尾 |
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歴60 | 「国木田国丸」の墓碑 | 川西地区 | 安政元年建立 龍野町福の神 常照寺裏墓地 |
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歴61 | 歴史文化資料館 | 川西地区 | 旧龍野市域を中心に、原始古代から近世までの生い立ちを実物、パネル、模型等で紹介している。 龍野町上霞城128-3 TEL (0791)63-0907 |
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歴62 | 武家屋敷資料館 | 川西地区 | 龍野城下町の当時のようすを具体的に知るため、屋敷自体を資料として公開している。 龍野町上霞城45 TEL(0791) 63-9111 |
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歴63 | 八瀬家住宅 | 揖西地区 | 1792(寛政四)年の建築、脇坂龍野藩の西組大庄屋を勤めた。龍野藩の建物としては唯一現存している。玄関を備えた風格ある建物で、庭園の造形も見事である。たつの市指定文化財。 揖西町中垣内 |
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(4)文化コース | ||||||||||
名 称 等 | 地 区 | 備 考 | ||||||||
文1 | 霞城館・矢野勘治記念館 | 川西地区 | 龍野が生んだ現代の文化人三木露風・内海青潮・矢野勘治・三木清に関する文献や資料を展示(著書約200点・写真約50点・遺品類約500点) 龍野町上霞城30-3 TEL(0791)63-2900 |
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文2 | かどめふれあい館 | 川西地区 | 明治期の商家の華やかな表構えの一端がうかがわれる建物で、地域交流やまちづくり学習の場として活用している。 龍野町上川原 TEL(0791) 62-5155 |
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文3 | 赤とんぼ歌碑 | 川西地区 | 山田耕筰の美しいメロディーを得て、今なお多くの人々に愛されている三木露風作詩の童謡「赤とんぼ」。童謡に手を染めたトラピスト修道院時代にふるさとの秋をしのんで書いたものです。 歌碑五線譜は山田耕筰の絶筆。 場所:龍野公園入口 |
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文4 | 童謡の小径 | 川西地区 | 白鷺山展望台への登り口から頂上を経て、龍野公園の坂道を下り、赤とんぼ歌曲碑に至る道が童謡の小径。 |
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文5 | 文学の小径・哲学の小径 | 川西地区 | 赤とんぼの歌碑から聚遠亭に通じる桜道を「文学の小径」と言い、白鷺山、南斜面に三木清の哲学碑があり、この前の道を「哲学の小径」と呼んでいる。 |
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文6 | 「松尾芭蕉」の句碑 | 川西地区 | 安政5年建立 粒坐神社(龍野町日山) |
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文7 | 「松尾芭蕉」の句碑 | 川西地区 | 寛政5年 浄心院(龍野町日山) |
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文8 | 梛八幡神社神事獅子舞 | 神岡地区 | 数百年来続いている毎年10月20日の例祭に氏子十六集落が交代で当番となって、伝統の神事獅子舞を集落ぐるみで賑やかに奉納する。兵庫県無形文化財。 |
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文9 | 觜崎の屏風岩 | 神岡地区 | 鶴觜山の頂から、直接揖保川の流れに入り込むこの岩は、切り立った岩層が大きな屏風を立てたように見える。 何億年もかけて自然が作り上げた造形美は壮大で、明治27年巨智部(こちべ)博士によって発表され、昭和7年に国の天然記念物に指定された。 切り立つ岸壁に浮き彫りにされた磨崖仏は昔から「いぼ神さん」と慕われ、紀年銘のあるものとしては県下で最古のもので室町時代のものといわれている。県指定重要文化財。 |
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文10 | 紅葉谷 | 川西地区 | 紅葉谷の入り口付近の楓は、木漏れ日も通さぬほど茂っている。 春の新緑、秋の紅葉の美しさは訪れる人の心を魅了する。 場所:龍野公園内聚遠亭東 |
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文11 | 鶏籠山 | 川西地区 | 赤松村秀によって築かれたとされ、四代続いた城が鶏籠山に残る。現在も削平地が多数あり、西側斜面には石垣が残る。天正5年に秀吉に城を渡している。その後、山麓の平山城(龍野城)となって脇坂氏が明治まで続いている。 |
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文12 | 片しぼ竹 | 川西地区 | マダケが変化したもので、節間は芽の上側の反面が平滑で反対側に皺ができる。成長してもこれが繰り返される。それでカタシボといわれ、片皺竹の意味である。昭和33年国の天然記念物に指定。 場所:龍野町本町梅玉旅館内 |
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文13 | 龍野さくら祭と武者行列(4月) | 川西地区 | 県下一の桜の名所・龍野公園。一目三千本といわれる桜の満開は見事である。関連イベントとして、武者行列も繰り広げられる。 |
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文14 | 龍野納涼花火大会(8月) | 川東地区 | 第1土曜日、揖保川河川敷で繰り広げられる夏の一大イベントである。 |
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文15 | ふれ愛まつり(8月) | 川東地区 | ボランティアグループが主催し、中川原グランドで開催される。 |
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文16 | 観月の夕(9月) | 川西地区 | 中秋の名月の夜、龍野城で観月の夕が催される。お茶会や邦楽演奏も行われる。 |
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文17 | 童謡の祭典(10月) | 川東地区 | 赤とんぼ文化ホールにおいて、童謡の合唱と演奏をする音楽会を開催。 |
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文18 | 赤とんぼの里コンサート(10月) | 川東地区 | 童謡の里龍野から生まれた新しい童謡の普及を目指すイベント。 |
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文19 | 菊花展(10月中旬~11月中旬) | 川西地区 | 10月中旬から11月中旬まで、龍野公園市民グラウンドで開催。丹精込めて育てられた菊が多数出展され、訪れた人の目を楽しませてくれる。 |
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文20 | 龍野市民まつり(11月3日) | 川東地区 | 「みんなでつくる、みんなのまつり」というスローガンのもと、市民一人ひとりの自由な発想と創意工夫によって行われる市民総参加のまつり。市役所周辺には、たくさんのオープンイベントや、市民パレードが繰り広げられ、大勢の観衆でにぎわう。 | |||||||
文21 | ふるさと文化祭(11月3日) | 川東地区 | 市民グループの日頃の活動の成果を発表する場として、赤とんぼ文化ホールなどで、芸能発表、文芸、茶華道、写真、盆栽、リフォーム作品などを紹介。 | |||||||
文22 | 龍野市皮革まつり(11月下旬) | 川東地区 | 赤とんぼ文化ホールにおいて、兵庫県皮革産業協同組合連合会及び龍野市皮革産業総合推進協議会の主催で開催され、衣料や靴、カバンなどの製品が数多く展示・販売される。 | |||||||
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(5)産業コース ※印 団体の見学受入可能 ☆印 売店(自動販売機)あり | ||||||||||
業 種 | 地 区 | 備 考 | ||||||||
産1-1 | 醤油 | 川西地区 | ※☆うすくち龍野醤油資料館(龍野町大手) |
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産1-2 | 醤油 | 川東地区 | ※ヒガシマル醤油株式会社(龍野町富永)(マップは川西地区右をご覧下さい。) |
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産1-3 | 醤油 | 川西地区 | ☆カネヰ醤油株式会社(龍野町上川原) |
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産1-4 | 醤油 | 川西地区 | 末廣醤油合名会社(龍野町門の外) |
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産1-5 | 醤油 | 川東地区 | 龍野醤油株式会社(龍野町島田) | |||||||
産1-7 | 醤油 | 揖保地区 | 矢木醤油株式会社(揖保町門前) |
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産2-1 | そうめん、乾麺 | 神岡地区 | ※☆揖保の糸資料館「そうめんの里」(神岡町大住寺) |
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産2-2 | そうめん、乾麺 | 揖西地区 | ※☆イトメン株式会社(揖西町小神) | |||||||
産2-3 | そうめん、乾麺 | 川東地区 | 兵庫県手延素麺協同組合(龍野町富永) | |||||||
産3-1 | 皮革 | 揖保地区 | 松原皮革協同組合連合会(揖保町松原) |
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産3-2 | 皮革 | 誉田地区 | 播州皮革工業協同組合(誉田町広山) |
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産3-3 | 皮革 | 神岡地区 | 沢田皮革協同組合(神岡町沢田) |
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産4 | トイレットペーパー | 川東地区 | ※西日本衛材(龍野町富永) | |||||||
産5 | 産業機械 | 川東地区 | 極東産機(龍野町堂本)(マップは川西地区右をご覧下さい。) | |||||||
産6 | 缶コーヒー | 揖保地区 | ※UCC上島珈琲株式会社兵庫綜合工場(揖保町揖保中) |
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産7 | アイスクリーム | 揖保地区 | ※☆田口乳業株式会社(揖保町揖保中) | |||||||
産8 | 和太鼓 | 川西地区 | 伊藤木材工芸(龍野町北龍野)(マップは神岡地区左上をご覧下さい。) |
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産9 | 陶器 | 揖西地区 | 孔雀窯(龍野町上霞城)、龍野窯(揖西町小神) | |||||||
産10-1 | 味噌・麹・甘酒 | 川西地区 | 井戸味噌糀製造所(龍野町下川原) |
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産10-2 | 味噌・麹・甘酒 | 揖西地区 | 長方商店(揖西町北山) | |||||||
産11 | あんこ | 川西地区 | 内藤製餡所(龍野町北龍野)画8 |
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産12 | 漬け物 | 神岡地区 | 有限会社中口漬物(神岡町田中) |
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(6)偉人コース | ||||||||||
氏 名 | 地 区 | 備 考 | ||||||||
偉1 | 藤原保昌 | 揖西地区 | 丹後大和摂津播磨の守護を歴任、晩年和泉式部を娶り余生を送る。 揖西町琴坂に和泉式部の遺跡があったとも言い伝えられる。(957~1036) |
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偉2 | 大燈國師 | 揖保地区 | 揖保町宝林寺に生まれる。京都竜宝山大徳寺を創建。墨蹟『渓林偈・南嶽偈』が国宝に指定されている。 赤松氏の家臣・浦上(うらのえ)氏の子として生まれた。朝廷から興禅大灯、高照正灯の国師号が与えられた。京都の大徳寺を開山(初代住職)(1282~1337)。 |
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偉3 | 宮本武蔵 | 川西地区 | 播州龍野在宮本村(播磨鑑による)の人で龍野町圓光寺にも暫時足を滞めていた。 十手の名手である父の影響で十手を術を学び、術の極意は究めたが、その後二刀流を案出、二天一流を開くに至る。(1584~1645) |
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偉4 | 中井 甃庵(しゅうあん) | 川西地区 | 本名 誠之(さねゆき)、宋学を三宅石庵に受け、代々龍野藩に仕う。大阪懐徳堂の創設および官許に奔走。第二代学主(学長兼教授) 龍野町上川原に生家跡あり(1693~1758) |
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偉5 | 俣野玉川 | 川西地区 | 龍野藩儒学者、『龍野孝婦鳴盛編』を刊行。 龍野町川原町に石碑(1729~1806) |
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偉6 | 脇坂巖 | 川西地区 | 龍野藩の武術指南者。槍術に長じ、会津の士滋賀小太郎との勝負に勝ち天下に知れる。 晩年、島原の名人にも勝ち、龍野藩の武名をあげた。 |
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偉7 | 柴原和 | 川西地区 | 貴族院議員。初代千葉県令(現・知事)。本町に生家がある。北龍野の墓地に石碑「柴原日進翁配森井氏之碑」が建立されている。 龍野町中霞城に旧宅跡(1832~1905) |
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偉8 | 俣野藍田(琢) | 川西地区 | 日本の漢文学の最高権威の一人であり、書家としても名を残している。 股野藍田は高級官僚としての功績に留まらず、帝室博物館(現・国立博物館)総長として当時漸く芽生え始めた文化財保護にも大いに貢献した。(1838~1921) |
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偉9 | 横山省三 | 川西地区 | 醤油業界の同業組合を組織化、初代組長 陶像、公徳碑-うすくち龍野醤油資料館別館(1849~1910) |
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偉10 | 平井 文之助 | 川西地区 | 愛郷の念から私財を投じて龍野公園桜道を開拓、桜1000本を植えて町に寄贈。 紅葉谷には楓500本を植えた。「春の桜、秋の紅葉」の観光イメージ実現に努めた恩人。 句碑-龍野町文学の小径(1861~1936) |
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偉11 | 横山 醇(じゅん) | 川西地区 | 横山省三の娘、同志社女学校卒業後済生学舎にて医療の勉学に励む。明治31年県下で初めて女医として開業、小児科医院を始める。 資料:『楽とんぼ』№43~46(小林眞智子氏発行)(1873~1959) |
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偉12 | 矢野勘治 | 川西地区 | 旧制第一高の寮歌『春爛漫』は一高2年、『嗚呼玉杯に』は一高3年のときに作詞した。矢野勘治記念館(龍野町上霞城)は晩年を送った自宅である。 頌徳碑、寮歌碑-龍野町龍野動物園内(1880~1961) |
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偉13 | 内海信之 | 川西地区 | 雑誌『明星』で石川啄木、北原白秋と並んで三選作とされ、注目された。霞城館(龍野町上霞城)に内海信之コーナーがある。 詩碑-龍野町哲学の小径 詩集『淡影』『硝煙』(1884~1968) |
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偉14 | 冨井於莵 | 川西地区 | 婦人解放の先駆者、日本初の女性新聞記者と言われている。 龍野町上川原に生家あり(1866~1885) |
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偉15 | 渡辺 完 | 川西地区 | レントゲン研究者。欧米で開催された国際放射学会日本代表として出席。 ドイツ・ハンブルグの大学に顕彰碑が建てられている。 彰徳碑、歌碑-龍野町龍野神社社務所前(1888~1955) |
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偉16 | 三木露風 | 川西地区 | 詩集『廃園』は北原白秋の『邪宗門』と並んで、詩壇に新風を吹き込み、『白露時代』を現出した。童謡『赤とんぼ』の作詞者。霞城館(龍野町上霞城)に三木露風コーナーがある。 歌碑と筆塚-龍野町如来寺 生家跡-龍野町上霞城 詩碑-龍野町聚遠亭 立像-龍野町龍野公園入口付近 赤とんぼ歌曲碑(1889~1964) |
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偉18 | 三木清 | 川西地区 | 旧制一高から京大に学んだ。処女作『パスカルにおける人間の研究』をはじめ、『人生論ノート』『哲学ノート』など数多くの著書を世に送り、世界的哲学者への道を切り拓いていった。霞城館(龍野町上霞城)に三木清コーナーがある。 レリーフ、歌碑-龍野町哲学の小径沿い(1897~1945) |
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偉19 | 丸山義二 | 誉田地区 | 戦時下の農民文学、開拓文学の方向を示した。一般農民のための農業技術の書き物を平易に書き改めるなど、農業の振興にも尽力。代表作『庄内平野』『田植酒』 誉田町髙駄に石碑(1903~1979) |
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偉20 | 前田陽一 | 川西地区 | 映画監督、脚本家。『坊ちゃん』など数多くの映画作品を手がける。龍野町下川原に生家(1934~1998) |
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