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 ヒストリー


古くから山陽道・美作道が通り、人の往来があった龍野。
古代日本の様子を伝える『日本書記』などにもこの地は登場し、
江戸時代には約200年間の脇坂藩政のもと、城下町として繁栄。
醤油産業などが盛んになり、現在の龍野の町の礎を築きました。
往時の暮らしが伺える町並、史跡や名所は今も随所に。
目まぐるしく変化する時代にあってなお、町の風景に溶け込んでいます。
先人たちの足跡を辿って、この町の奥深さに触れてみませんか。


 相撲の祖、野見宿禰ゆかりの地


日本の国技とされる相撲の歴史は古く、古墳時代の遺物や『古事記』にも記されています。
龍野神社の西方にある野見宿禰(のみのすくね)神社は、
『日本書記』に登場する相撲の神、野見宿禰を祭った神社。
『播磨風土記』によると、大和と出雲を往来する途中、
龍野に立ち寄った野見宿禰はこの地で病死、埋葬されました。
その際、出雲から多くの人が龍野に来て、リレー式で川から石を運び、墓を作ったと伝えられています。
「立野」「龍野」の地名は、石を運ぶ人たちが野に立つ姿から生まれたという説がとられており、
日本の黎明期からこの地が“たつの”と呼ばれていたようです。
 また、揖保の名は、古くは粒(ついぼ)の丘と呼ばれたことが、奈良・飛鳥で出土した
7世紀末のものと推測される木簡や『播磨風土記』からうかがえます。
 古代から人が集まり、暮らしを営んでいた龍野。豊かな自然や穏やかな気候も、
龍野の歴史や文化づくりを担っていったようです。






 龍野のシンボル鶏籠山に築城された龍野城


二期に分けられる龍野城。現在目にすることができる平山城は二期目のもので、
一期目は1,500年、赤松村秀によって、鶏籠山の山頂に立てられた山城でした。
赤松家は4代にわたって城を守りましたが、1577年豊臣秀吉に城を明け渡します。
秀吉は、家臣石川光政に城を与えたところ、光政は城を不便な山上から山麓へ移動。
これを契機に、城下町の形態が整ってきたといわれています。
 現在の平山城は、1672年、信州飯田から脇坂安政が移った際に築城したとされています。
近年は荒れ放題になっていましたが、本丸御殿、白亜の城壁、多聞櫓、埋門、隅櫓などが復元され、
多くの人が訪れています。






 約200年間続いた脇坂藩政


 五万三千石の脇坂藩は、明治初期の廃藩置県まで続きました。
武家屋敷や醤油蔵、白壁の土塀、曲がりくねった細い道路など、
当時を偲ばせる光景は、今も町に残っており、城下町龍野を印象づけます。
龍野公園内にある聚遠亭は、もともと脇坂藩主の上屋敷だったもの。
松平定信が来遊の際、淡路島、瀬戸の島々を眺められる素晴らしさをたたえて、
「聚遠の門」と呼んだことから、聚遠亭といわれるようになりました。
心字池の上に浮く茶室は、書院造りを模した数寄屋風の建築で、たつの市の指定文化財。
城主脇坂安宅が京都所司代の時、御所が炎上し、その復興の功績をたたえ、
孝明天皇から拝領したと伝えられています。
 初代の安政氏が信州から来た当初は、酒屋が32軒あり、伊丹、池田に次ぐ名酒地であった龍野。
醤油醸造は、あくまでも二次的なもので、1587年に始まったと伝えられています。
1666年に、甘酒を甘味料とするうすくち醤油が誕生。
揖保川の水が軟水で酒造よりも醤油づくりに適していたこともあり、ついには醤油業が盛んに。
脇坂藩の手厚い保護もあり、地場産業として、大いなる発展を遂げることになったのです。








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